短い「ときたま」物語、又はつらつらと書いた長いプロフィール(2020年9月14日)
1「常識の使い道」
〜小学生、中学生、高校生、大学生
「常識って何?」、「新聞が違えば、同じ事件を扱っていても記事の内容は違う。でも、どれも嘘じゃない」この二つのコトバは、私が小学生の時に先生が言っていて、今も覚えている。なるほどと思った。世界の見方が変わった。でも、去年クラス会に行ったら、言った先生は忘れ、言われた私は覚えてた。そんなもんだ。
水着と下着で露出している肌の面積は同じなのに、なんでスカートめくりをしたりされたりして、キャーキャーと盛り上がるのかなあと思っていた小学生の私だった。
「小説読むより、現実を見る方が面白いな」、「芝居って、劇場に行かなくても、みんな日常にやってるジャン、それもぶっつけ本番で」と思っていた中学生時代。
高校になると、恋愛に心を割いていた。学校で住所録の表紙の公募があった。クリームのバックに、万年筆で花を描いて散らしてみた。当選した。だって、応募者一人しかいなかったのだから。学園祭の入り口の飾り付けとかやってたなあ。
大学の頃は、相変わらず男子のことが最重要課題。テニスをしてた。美術史だったのだけど、勉強にはエネルギーは行ってないな。でも、なぜか、先生方には名前を知られていたんじゃないかな。
子どもの頃から一人でいると、一人言をぶつぶつ言っている時間が長かった。それも、話し言葉でね。誰かと話しているように。
2「思いをかたちにする」
〜編集者時代
卒業して入ったのが出版社。子ども向けの物語りや工作のページ、大人向けのファッションページなど、いろいろやったけど、一番楽しかったのは、幼稚園、保育園生向けの「かがくらんど」という科学月刊誌の編集。周りをずーっと眺めて観察していれば、企画をどんどん思いついた。子どもの気持ちになってなんて必要はまるでない。私がいつもの気持ちで面白い物を、取り上げればよかった。
「じかんがたつと」という特集の中で、髪の毛もゆっくり伸びていることを伝えたくて、頭を全部剃っちゃったりした。頭が寒くて、すぐに風邪をひいた。剃るなら、真夏だね。でも太陽光がまともに当たるから、日焼け注意。
7年やっているうちに、思っていることを、本と言う形にまとめて、読者に伝える技術を学んだ。お金をもらって、教えてもらって、まったくありがたい。
文章を書いたり、デザインをしたりするのは一応出来る私だけど、上手くない。でも、企画は大好き。人を探すのは、面白いし、進行管理するのもそんな苦じゃない。お金の計算も、そこそこ出来る。編集者より、プロデューサーが向いてるかな、と思ってた。
仕事はまあまあ楽しかったけれど、いつも何となく忙しくて、そんな気分が嫌になって、7年勤めて、三菱総研に転職した。一応正社員。周囲の予想通り、8ヵ月で辞めた。コンサルタントより、私はメーカー体質じゃ。
3「もののうしろにひとをみる」〜社長業を始めてみた
フリーで、しばしプラプラしたあと、友だち4人と編集プロダクションを始めた。世はバブル。単行本や雑誌の編集、イベント企画、広告もやったし、新規事業開発にも関わった。仕事はどんどん来た。忙しく働いてた。
初めての社長業で、決算の仕組みや、資金繰り等、ホーー、こうやって会社は回っていたんだと、発見多数。習わないけど、どうにかなっていって、会社は成り立っていた。サラリーマンでは気づきにくいことをたくさん知った。
仕事をやっていると、自分の特徴が分かる。0からものを考えるのが、好きなんだなあ、私は。
1989年、今や環境教育では伝説になっている(と自分で言ってれば世話ないね)「一本の樹プロジェクト」も友だちと一緒にはじめた。実家にあった樹齢100余年の欅を切ることになったので、それを友人知人に分けて、作品を作ってもらい、3年後に展覧会をした。参加者116人と4グループ、参加作品500点以上。芸術文化基金から500万円もらい、無事に展覧会をし、カタログを作った。写真絵本『いっぽんの木』(福音館書店)やスライドショー「一本の樹」(ワークショップミュー)も出来た。ドキュメント『一本の樹からはじまった』(アリス館)は中学校感想文課題図書になったので、一年遊んで暮らせた。
4 「習わないで出来ること」〜季刊写真誌『デジャ=ヴュ』発行人の頃
ある日、「写真関係のメーカーの社長さんが末期がんになり、余命幾ばくもない。子どももいないし、何か写真のためにお金を有効に使いたい。3億くらいかな」、こんな嬉しい話が飛び込んできた。すっかりその気になり、連れ合いの飯沢耕太郎さんと季刊写真誌『デジャ=ヴュ』の企画を立てた。後日、再検査したら、ガンではなかった。と言うことで、残ったのは作りたい思いと企画書だけ。
捨てる神あれば拾う神あり、その企画書を元に、プレゼンしてくれる人がいて、話がトントン拍子に進み、1990年、創刊にこぎ着けた。そのために出版社を作り、社長となる。編集にはまるでタッチしないで、発行人に。経営や、営業や、広報、広告取りをやっていた。人探しも重要な仕事。本を作ったあとに、流通したり、お金を回収したりと、多くの労力がかかることを実感。
でも、3年、11号出した所で、会社の仲間に会社を引き継いでもらった。資本金500万で、3年やってたんだから、けっこう社長業は向いているんだよね、だけど楽しくない。ここで、私は自分自身のことをやりたいのだ、とはっきり気づく。
では、何をやるか……。
5「自分の才能がわかる才能」
〜コトバに辿りつくまで
何か自分を表現できるものが欲しかった。30の頃から、何か作りたかった。
で、ここがおもしろいのだが、私は、絵が好きだから絵を描こうとか、歌うのが得意だから歌手になるとか、決まったジャンルがあるわけじゃないんだ。ともかく、何か作りたい。その想いとエネルギーはある!
カラフルな粘土のオブジェを作ってみた。壁の模様の写真も撮ってみた。毎朝、地道に小説も書いてみた。でもどれも何か違う。
『デジャ=ヴュ』の発行人を譲って、再びフリーになったとき、飯沢さんが「確信のあるものがいい」と言った。この言葉にピンと来た。そうだ、確信だ! そのジャンルなら、どれがいいか悪いか、分かるもの、自分が作ったものが世界一すばらしいと思うもの、私らしいもの。そう言うものをやればいいんだ。もう一度、私について考え直し始めた。
子どもが生まれたとき、絵日記をつけていた。日常の気づいたことを書いていたんだけど、これは書いてて楽しかったし、読んだ人にも好評だった。数ヶ月くらい続いたかな。どこかがおもしろいのかな? と考えると、多分、日常の世界の見方なのだ。
表現のカタチはどうしよう。キャッチコピーみたいな短い言葉は、良い悪いが分かるなあ。人がどう思っていてもかまわない。私としては、確信を持って、いいものが分かるのだ。ちなみに、私が今までで一番すごいと思ったのは、尾崎放哉の「墓のうらに廻る」。これにはやられた!と思った。
日記みたいに文章にすると、やりいたいことからどんどん離れていくことも確信した。感情が強制的に誘導されるようで、私の作りたいものとは違うのだ。
6「ことば コトバ 言葉 KOTOBA」
〜1993年12月10日、週刊「ときのコトバ」創刊
改めて日常を見回して、ピット来たら、メモをとった。状況、風景、気持ち、味、におい、感触、何でもピット来たらだ。
次にメモをコトバにした。ピット来たものをそのままコトバにするんじゃない。そこにある普遍を取り出して、やさしい言葉にする。答えじゃなくて問い。もちろん短く。誤解と笑いも加えて。
コトバは太いゴシック体にした。手書きだと情報量が多すぎる。
文字は黒、紙は地色のママ。一つのコトバのなかは同じ大きさ。色や大小等よけいな情報は入れたくない。
官製ハガキにプリントアウトして出すことにした。そのためにパソコンを買った。そうすれば好きな枚数だけ刷れる。在庫を持たないってスバラシイ!
デザインだって自分で出来る。楽しみと誤解をプラスした。
作るだけじゃなくて、誰かに届けたかった。そしてコトバについて話したかった。おしゃべり大好きですから。
ハガキは動くポスター。誰でも自由に見れるし、壁にも貼れるし、立てかけられる。紙+郵送代で、52円、海外どこでも70円、安い!
週刊にした。短いコトバは週刊くらいがちょうどいいと思った。毎日だと飽きちゃうし、毎月じゃ忘れちゃう。
1993年12月10日。第一作目を投函した。週刊「ときのコトバ」の創刊だ!
その後、ほぼ毎週新作のコトバを作って、出している。制作のスタンスもスタイルもずーーと同じ。そして、2015年4月14日で1000作になった!
7「描くものと描かれるもの」
〜2015年8月29日、お絵描きの神様が降ってきた
2015年8月29日、突然、お絵描きの神様が降りてきた。
今考えると、その年、週刊「土岐のコトバ」も1000号を出し終えて、5月には展示もやって、6月になると、はがきは出し続けていたけどなんかポカーーント気が抜けていたかも。
で。8月29日に今はなきcaseギャラリーでやっていたアップサイクルのイベントに行ったんだ。そこで、布の切れ端を使った、プラ板のアクセサリーのワークショップがあった。そこでヒサーーーーーシぶりにお絵描きをした。めぐちゃんのお誕生日向けだったから、赤いハートを作った。水玉模様のところだけ塗らないでね。プラ板に描いて、切って、縮めた。布を裏から貼って、出来上がり。おオーー、いいじゃん!なかなかの出来。楽しい!!ということで、お絵描きが始まった。
どんどん描いた。コトバを作っているのと、全然使っている頭が違う。手の動きも違う。何と言ってもコトバの場合は、パソコンで作っているからな。お絵かきは、悩むことなく、どんどん作れる。
それまで、自分が絵を描くなんて思ってもみなかった。どんどん気の向くまま描き初めた。ともかく描きたいのだ。何かを描くのではなく、描いてるうちに何かになる。何かっていう何かに。
小さなのやちょっと大きいの、平らなのや立体などなど描いて1年で1500点にもなった。プラ板に描いたから「ぷらたま」と名付けた。
それでもまだまだ描き続けた。コトバはすっかり忘れた。
お絵描きは動くモビールになったりしていった。モノクロのシリーズ「たまたま」ができたり、マグカップに描いた「マグたま」が102個できたりして行った。
8「手書き文字の情報量」
〜2018年9月、「ことバッグ」への道が始まる
(2019年5月7日の日記より)
さて、「ことバック」について書いてみようと思う。このバックに描くのっていうの、今、気に入ってて、どんどん描いている。他のにも描いてみた。パンツとか帽子とか、靴とかね。でも違うんだな。何がって、大きさと布の質感。小さいところに書くと、のびのびと描く楽しみがない。質感、ザラザラさだね。そうそう、キャンパスってやつも買って描いてみた。生まれて初めて地塗りしてさ。でもまた、これが違う。ザラザラがない。吸い込まれ感っちゅうか、が違うよね。それと、出来上がりがカワイくない。インパクトがない。
今回の展示はコトバの展示にしようと思っていた。お絵描きじゃなくてね。これは決めてたんだ。でも、具体的なことは何も。決めたのは、去年の4月、前回の展示が終わってから。何にするかは悩まなかった。まだ時間あるし、気の向くまま、いろいろなものに描いたり、他のコトしたりしていた。何がやってくるか楽しみにしながら、好きなことやってた。
事の始まりは去年の9月、めぐちゃんの誕生日のプレゼントなんだな、今、考えると。プラ板にやりだしたお絵描き「ぷらたま」の初まりも4年前のめぐちゃんへのお誕生日プレゼントだったから、おもしろいね。で、プレゼント何にしようかと思い、そうだ、バッグに絵描いてあげようと思った。それまでにも、Tシャツやバッグにお絵かきはしていたんだ。でも、意味のない絵を描いていた。でもその時に、まず、一面に意味の無い絵を描いて、あと、もう一面に何を描こうかなと思って、そうだ、70歳のお誕生日、古希でめでたいから、70って描こうと思った。赤い文字で70。そしてプレゼントした。毎日、お買い物に行く時に使ってくれていて、嬉しいなって思っていた。とまあ、それはそれ。
そして次のステップ。2月24日の前。2月24日は正子さんの誕生日。また、プレゼント何にしようと思い、、、あっそうだ、バッグに描こうと思い、でも、年というのも、めぐちゃんは70だから、なんかいいけど、中途半端な時に描くのもなあ、そうだ、名前にしてみるか、というので、名前の一文字「正」を描いてみた。正の字の中に丸々を入れて。そしたら、いいんだな。字には力がある。いいじゃん!と、次々と、色々な人の名前の一字を描いてみた。楽しい。
で、どこで、私のコトバの一文字目を描こうと思いついたのかな。うーん、そこがよくわからない。誰かが、コトバ描けば、といったのかもしれない。忘れた。で、これまで作ったコトバの最初の文字を描いてみた。うーーん、最初な何だったかな。これも、、、忘れた。
9「シャシンがとれる日」
〜2016年3月, iPhoneにしたら、写真家になった
iPhoneにして、ふと、町を撮った。目的なく撮った。スナップショットって奴。で、撮った写真を見た。「いじゃん」。そして、どんどん、撮り始めて、「いいじゃん」「いいじゃん」、が増えて行った。日常を撮る。なんでも撮る。ノンジャンルじゃなくてオールジャンル。なんでも等距離で撮りたいと思ってる。撮るために歩くんじゃなくて、歩いてて、たまたま撮る、で続けている。
2019年の秋、「ときたまさん、うちのバーで写真の展示しません?」とMくんに言われて、2016年から撮っていて、携帯の中に眠っていた写真を初めて見返した。おーー。ずいぶんある。「いいじゃん」。ともかく紙焼きにして並べてみようと、駅前のパレットプラザに行った。選んでは焼く、正確には焼いてもらうだね。どんどん選んで焼く。毎日選んで焼く。いやーー楽しい。部屋がプリントで埋まっていく。気がつくと4221枚。で、気づく。この世界を表すのは展示ではない。まず、写真集を作ろう!
紙焼きを分けて、選んで、並べて、また並べて、削って、また変更して、また削って、やっと並びが決まった。
さて入稿と思ったら、町が新型コロナの色にどんどん変わっていく。「待てよ」。このままで行くと、新コロナ以前の写真集になっちゃうぞ。と一旦中止。新型コロナの町を撮って、また焼いた。731枚あった。ということは合わせて4952枚。で、再度組み直した。
住んでいる恵比寿と、お散歩コースの渋谷、広尾、代官山、青山に加えて、展示や旅行で行った日本のあちこちでのスナップ。
青空も、富士山も、桜も銀杏も、ウルトラマンも、公衆電話も、ビルも、工事現場も、レストランも、満員電車も、うちの中も、町の様子も、夜も、雪の日も、スタジアムの夕焼けも、パフェも、マスクも、ピンクの靴下も、落し物も、ときたまの作品も、歌う人も、歩く人も‥‥‥。
日々は、いつもと面白いとそして非日常の「たね」で出来ている。
さて、これから展示について考えよう。
そのあとは、何をやるのか、来年の自分を楽しみに。
*各章のタイトル「」の中のコトバは「ときのコトバ」から選びました。1000以上コトバがあるので、なんかタイトルにぴったりの言葉が見つかりました。